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アメリカは国内では抑圧とはほど遠いが、国際舞台でその権力をふるう際には、なんの制約もない。
遺体袋の心配がないと判断した場合は、時として強引な攻撃者になる。
スーダンの製薬工場の爆撃は、その好例だ。
より的確にいうと、アメリカは積極的に協力を拒否するのである。
国連の分担金の支払いは拒否しているし、IMFへの追加資金拠出も渋っている。
そのうえ、待ってましたとばかりに、というより正確には国内の有権者にせつつかれて、一方的に制裁を加える。
アメリカは国際司法裁判所の設立に反対票を投じたわずか七カ国のうちのひとつだった。
アメリカ軍兵士が国際司法の管轄下に置かれることにアメリカ軍部が反対したためだが、他の六ヵ国は、中国、イラク、イスラエル、リビア、カタール、イエメンだった。
あまり立派なお仲間とはいえないだろう。
国防総省は、世界各国のアメリカ大使館付武官を通じて各国政府の軍部指導者に働きかけ、国際刑事裁判所に反対するロビー活動への協力をとりつけようとさえした。
これは、軍の文民統制がしっかり確立されていない国においては、特に問題のある戦術だった。
アメリカは、国内情勢への配慮から外交政策を決定するという悪習にも陥っている。
キューバに対する禁輸は、フロリダで勢力をもつキューバ系有権者の機嫌をとるためだし、NATO
(北大西洋条約機構)の拡大は、一九九六年の選挙の際にシカゴのポーランド系有権者の歓心を買うためだった。
冷戦時代の大半を通じてみられた超党派の外交政策の時代は、今やはるか昔の話だ。
アメリカが再び自由世界のリーダーになるためには、その姿勢を根本から変えることが必要だろう。
しかし、姿勢を変えるための条件はかなりそろっていると私は思う。
アメリカは、独立宣言から始まって、開かれた社会の理念に歴史的にコミットしてきた。
世論調査によれば、現在のような麻輝状態の国連でも、アメリカ国民は依然、国連に対して、議会や大統領ほど背を向けてはいない。
必要なのは、開かれた社会に対する潜在的な支持を再び掘り起こすことだけだろう。
現在、政治の領域で、市場原理主義者と宗教的原理主義者の間に、不安定な同盟が成立している。
両者は大きな政府に反対という点で結び付いているのだが、それぞれが抱いている目的はまつたく違う。
市場原理主義者は経済への政府介入に反対しているのであり、宗教的原理主義者は国家が押しつける自由主義的規範に反対なのだ。
市場原理主義者が国際協力に反対するのは、大きな政府を嫌うのとまったく同じ理由からで、ビジネスに完全な自由を与えたいがためだ。
宗教的原理主義者が国際協力に反対する理由はその正反対で、グローバル市場が彼らの本質的価値におよぼす脅威に憤慨しているためである。
まったく共通点のないふたつの勢力が、どうやって折り合いをつけることができたのか、まったくもって不思議な話だ。
目的達成に向けて前進すればするほど、折り合いをつけにくくなるに違いない。
グローバルな開かれた社会に対する超党派の支持が形成され、国内の政治情勢が再編されることが考えられるが、そのためには、市場原理主義者がみずからのやり方の誤りを認識することが必要だ。
より協力的な外交政策を実現するためのプログラムを、もう少し詳しく描き出してみる必要があるだろう。
民主主義国は、協力して開かれた社会の原理を推進していくため、世界的な連合を結成する必要がある。
これらの国々は、情報の自由、結社の自由、法の適正な手続き、国家調達の透明性などの分野を網羅した、国家と社会との関係に関する基準を確立することができる。
連合の加盟国は、これらの基準を遵守することを誓約する。
現在はその基準を満たしていないが、望ましい目標としてそれに賛同する国も、加盟候補国として連合に受け入れることにする。
開かれた社会連合の加盟国と加盟候補国で、国連の過半数を占めるよう期待したい。
そうなれば、多数決原理によって、国連を改革することも可能になるだろう。
国連は議会のような機能を果たすことになり、現在よりはるかに効率的になるだろう(注)。
国連に何ができて、何ができないか理解することが重要だ。
人間の手になるものすべてがそうであるように、国連にも根本的な欠陥がある。
しかし、国際機関として大きな可能性を秘めているのも、また確かである。
主な機構としては、安全保障理事会、総会、事務局の三つに加え、国連開発計画(UNDP)、国連工業開発機関(UNIDO)、国連教育科学文化機関(ユネスコ)など、多くの専門機関があるが、効果的に機能しているのはごく一部にすぎない。
ポストへの任命は、国の推挙にもとづいて行われ、能力主義ではない。
職員の解雇はむずかしく、使命を終えた組織の解散となるとさらにむずかしい。
国連の評判を芳しくないものにしているのは、このような点なのだ。
題官僚機構というものは必ず、使命の遂行より自らの保身に関心を持つものだ。
官僚機構がひとり噸の主人にではなく、国連加盟国全体に責任を負うとなると、とうてい収拾がつかなくなる。
それぞれが自国の利益にもとづいて行動する国家の集合体は、共通の利益のための執行業務を遂行するにれは不向きであることを、認識しなければならない。
遂行すべき執行業務があるとすれば、そのすべ開てを、自らの行動に関して責任を問われる、任命された職員に委任すべきだ。
これらの職員を誰が監督するかは業務によって異なり、事務総長の場合もあれば、総会によって任命された理事会の場合も、あるいはIMFや世界銀行のように、資金拠出国に任命された理事会の場合もあるだろう。
安全保障理事会は本来はすばらしい機関で、常任理事国間の合意さえ成立していたなら、平和を築くために効果的な力を発揮できたはずだった。
冷戦の終結によって、安全保障理事会が本来の目的どおりに機能するチャンスが生まれたにもかかわらず、すでにみたように、ボスニアの場合には、合意できなかったのは西側常任理事国三カ国、すなわちアメリカ、イギリス、フランスだった。
開かれた社会連合の創設によって、あのような残念な事態を二度と起こさないようにしなければならない。
非常任理事国も、開かれた社会連合を支持する国々からのみ選出されるなら、もっと結束を強めることができるだろう。
総会は、現在は井戸端会議の場と化しているが、グローバル社会のための法律づくりを担当する立法府のような機関になれるはずだ。
主権国家の集まりは執行業務を遂行するには不向きかもしれないが、国際立法機関の役割を果たすにはきわめて適している。
ここで制定された法律は批准した国においてのみ有効とするが、適格過半数が自発的に批准した場合には、開かれた社会連合の加盟国はその法律を自動的に批准することを誓約する。
何をもって適格過半数とするかは、慎重に決定しなければならない。
加盟国の三分の一、人口の三分の一、国連予算の三分の一、という三重のチェックをかけることが考えられよう(注2)。
適格過半数の決定を受け入れるという誓約を守らない国は、開かれた社会連合から除名される。
こうすることで、国家主権の原則に抵触することなく、国際法を発展させることができる。
どのような法律が必要で、それをどのように執行するかは総会で決めればよい。
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